こんにちは。
第2回目となるヨカンリサーチ、やっていきたいと思います。
突然ですが、みなさんはマルサスの『人口論』(1798年初版)をご存知でしょうか?
これは何かというと、「貧困の出現」は人口増加の観点から説明できるとする古典的な経済モデルです。
その主張は、人口は幾何学級数的(掛け算:1→2→4→8→16…)に増加するけど、生活資源は算術級数的(足し算:1→2→3→4→5…)にしか増加しないので、人口が増えるごとにその差はみるみる広がり、その帰結として生活資源の不足つまり「貧困」は必然的に起こるだろう、というものです。
まあ単純化すれば、人が増えれば増えるほど、一人あたりの取り分は減っていくという、割り算の話しですね。そしてこのモデルを頭に置きながら、今度は西暦800年から2100年までの日本の人口推移を見てみます(※1)。
【日本人口推移(西暦800年〜2100年)】
とにかく1900年から2000年までの伸びと、2000年以降の減りがすごい。見事なまでの放物線を描いています。今の時代、2000年前後の200年がいかに特異な期間であるかが良くわかります。自分たちは数千年ないし数万年に一度あるかないかの、かなり珍しい時代を生きているわけですね。
そして冒頭にマルサスの経済モデルを紹介したのは、このグラフをひと目見て最近たびたび耳にする、両親の共働き、子どもの隠れ貧困、派遣切り、実質賃金の持続的低下、生活保護打ち切り、といった「現代の貧困」関連のニュースとこのマルサスの主張とが、自分の頭のなかでバチッと重なったからです。もしや、マルサスはこのことを200年前に予言していたのではないかと。
とは言え流石にそれは飛躍しすぎで、こうした現代特有の社会問題を、200年も前に他国で提案された経済モデルたったひとつで説明するのはかなり無理があるでしょう。例えば、マルサスのモデルには「技術革新」による生活資源の急増可能性といった要素は考慮されていません。なにせ現代は、AI(人工知能)がこれまで不可侵だった人間の知的労働をさえ奪うのではないかとハラハラ心配するような時代ですので、200年前とは相当に隔世の感があります。
しかしこのモデルの基本的な考え方、すなわち人口の増減が1人あたりの資源(そしてコスト)の増減と密接にリンクしているという発想そのものは、現代の人口減少と自分たちの実生活との関わりを考える上で有用そうです。今回はそういった話しをしていきたいと思います。
1人あたりの「資源」を考える
一言に「資源」といっても、さまざまな種類のものがあります。
それらをちゃんとカテゴライズしつつ定義しようと思うと、「公共財」にまつわる非競争性/非排除性のややこしい経済学の議論にまで踏み込む必要があるので、やめます。
ここでは、「社会の中に存在していてみんなで分け合っているモノやコト」ぐらいのボンヤリとした定義で話しをさせてください。
またここからは、以下の3つの段階に分けて順々に話しを進めます。
① 一人あたりの資源が増える - まち空間(居住スペース)
② 増えた資源をどう活かすか - 規模の経済(共有と共働)
③ 資源とコストの相関関係 - 公共サービス・インフラ
それでは早速やっていきましょう。
① 一人あたりの資源が増える - まち空間(居住スペース)
前回そして今回の冒頭でも、日本では人口がこれからも継続的に減っていくことを確認しました。
一人あたりの資源量は「資源量 ÷ 人口」で決まりますので、人口の減少は純粋に一人あたりの資源量が増えることを意味します。それがエネルギー資源、海洋資源、インフラ、土地・建物、なんであれ。
そしてここでは月並みですが、「家屋(建物)」という、まちにある身近な「空間資源」を取り上げたいと思います。なぜなら身近な題材だからというだけでなく、一国の「空間資源」の絶対量は、戦争などで国土の一部が奪われたりしない限り劇的には変動せず、比較的安定しているからです(その他大抵の資源量は結構簡単に増減するので話しがややこしくなります。)
【総住宅数・空き家率】
ということで、「総住宅数に対する空き家率」のデータをまず持ってきました(※2)。
例えば、「古民家改修」や「リノベーション」などの言葉は、まちづくりに携わる人であればどこかで聞いたことがあると思います。そのムーブメントの背景にあるのが、このグラフが示している「空き家率の増加」です。
またそのさらに後景にはフロー型社会からストック型社会へ、という社会全体のあり方の転換があります。だいたい2000年あたりが境目でしょうか。フロー型社会とは「大量生産→大量消費→大量廃棄」の無数のサイクルの流れ(フロー)を総体とする社会、ストック型社会とは既存の資産(建物ほか)の集合そのものを総体とする社会です(※3)。
今現在こうして1万戸近い住宅が空き家となっているのは、フロー型社会時代を通じて大量に供給された住宅が、今現在の人口規模と経済成長のスピードでは消費しきれなくなって残っているためです。
そしてその結果として、「新しく作るのではなく、今あるものをどう豊かに使うか」が、現代のストック型社会における命題となっているわけです。
さてグラフですが、2018年今現在で16.9%(予測値)、そして2033年には30.2%、つまりおよそ1/3の住宅(!)は使われていない状態となるとの推算です。
予測線(2018年以降)の方が実績線と比べ傾きが随分大きく見えるのが気になりますが、これは近々予定されている消費税増税を恐れて住宅への駆け込み需要が発生しており、今現在は傾きが抑えられているからだそうです。
この多量のストックをカラッポのまま放っておく、というのはまさに宝の持ち腐れだと思いますが、ただもったいない!というだけでなく、空き家の放置によって、まち景観の悪化、倒壊による事故の危険性、更には地域の治安悪化など、さまざまな弊害が発生することが懸念されています(※4)。
それにしても3つに1つですか、凄いですね。
そして「空き家率」の線グラフに気をとられて見落としてましたが「総住宅数」(棒グラフ)の伸びもそれほど鈍化しないという予測なんですね、いやはや。
ちなみに個人的な話で恐縮ですが、私の出身は1980年代、フロー型社会真っ盛りに山を削って開発された “ザ・ベッドタウン”ですので、この話しはめちゃめちゃリアルに感じられます。残念ながら、当時の開発業者に30年後のまちの未来を想像する余裕はなかったのでしょう。
【空き家率の全国分布】
次に2015年の「空き家率の全国分布」を持ってきました(※5)。
先ほどのグラフの予測と合わせて考えると、今後10数年でこの緑一色(10%〜20%)のマップが、青緑と青(20%〜40%)のマップへと徐々に塗り替わっていくことになります。
そして私個人として少し意外だったのは、ここで見る限り「空き家率」の地域差があまりないことです。恐らく市場での流動率は都市圏の方が高いのでしょうが、三大都市圏と中山間地域とを比べてみても割合自体には如実な違いは見られません。
つまり見方を変えれば、一定量の居住空間のストックはどのまちでも余っている、ということになります。
さてここで、「一人あたり」という視点に戻りますが、住居・家屋は一人または一世帯につき1つというのが普通、といいますか下手すると有史以来の人類の普遍的常識かもしれません。遊牧民や狩猟民族でさえも2つ同時には持っていなかったのでは(たぶん)。
一方で最近、「二拠点生活」(多拠点生活)というライフスタイルに若干の注目が集っています。よくあるのは平日は都会/週末は地方、車で1〜2時間の距離に2つの住居をかまえ、行ったり来たりしながら生活するというものです。その大変さ・面倒さは説明されるまでもなく一瞬で想像がつきますが、確かに一度の人生で都会ライフと田舎ライフの両方を満喫できる、というのは他では得難い幸せな気もします(※6)。
これはもう、交通手段(車)と通信手段(ネット)が圧倒的に発達した現代だからこそ選択可能なライフスタイルですね。
あるいはもっと“穏やか”なアイデアとして、空き家となった家屋や店舗を地域の「コミュニティスペース」「シェアオフィス(コワーキングスペース)」あるいは「託児所」「アーティスト拠点」であったりと、住居の本来的機能にとらわれず、地域に余っている空間として多目的なスペースとして転用する動きはかなり一般的になっています(※7)。
こうした近年の動向から見えてくるのは、全国的に増えていくこの「空き家」という今やどこでにもある「空間資源」をうまく利用すれば、広い捉え方での「一人あたりの居住スペース」を広げていけるかもしれない、という新たな可能性です。
実際、土地と建物が余っているからと言って、一人(一世帯)が所有する個々の家屋そのものを大きくしようと思うと、個別に「更地化→建替工事」(スクラップ&ビルド)が必要でそこには追加で大きな労力と資源がかかってきます。しかし。今すでにあるものを利活用するのであれば、そして各空間が地理的に多少分散することを許容するのであれば、少しの工夫と労力でなんとかなる気がします。
ぶっちゃけ「複数の家に同時に住むって、え?」という感じだと思いますが(私も感覚的にはそうです)、なにせ2033年時点で3つに1つ、さらに進めばひょっとすると2つに1つの家が全国で余っているような状態になることを踏まえれば、この一見非現実的なアイデアは実は相当リアリティを持って検討できるんじゃないかなと、私は思います。
と言いますか、実はこの「居住スペースの地理的分散化」という考え方は発想としてはそんなに新しくもないです。
「住む」「暮らす」そして「コミュニティ」といった概念を問いなおす議論があちこちで観測できるのも、その動きのひとつでしょうし(※8)、自身も数年前に建築学生の卒業設計を眺めていたときに、「居住空間・機能が解体し、まちに溶け出す」的なコンセプトの作品をいくつも見たような気がします。
ただ、そのコンセプトを夢物語の類ではなく、あるいは一風変わった人だけが実験的にトライするものでもなく、そろそろこれからの社会における現実的なライフスタイルの選択肢のひとつとして考えられる段階なのかな?ということは今回のデータを見て個人的に思ったところです。
また、もしそうした住まい方・暮らし方が当たり前のものとして広がれば、東京一極集中や過疎化といった人口集中・分散の問題も、今とは違った糸口から解決の方向性が見えてくるかもなと、性急ながら妄想していました。
本当は「居住スペース」だけでなく、公園や道路などの「一人あたりのまち空間」を題材に、最近新たなムーブメントとなりつつある「プレイスメイキング(=Place Making)」などの話しなども盛り込みながらここからさらに書いていこうと思っていたのですが、すでになかなかの量なので「①一人あたりの資源が増える」はこのあたりで切り上げたいと思います。
次回は「②増えた資源をどう活かすか」から始め、できれば「③資源とコストの相関関係」の最後まで、書き終えることを目指すつもりでおります。
それではまた、引き続きどうぞよろしくお願いします。
<参照>
※1 国土交通省・国土計画局「国土の長期展望, 中間とりまとめ 概要」(2011)
http://www.mlit.go.jp/common/000135837.pdf
※2 野村総合研究所「住宅の除却・減築などが進まない場合、2033年には空き家が2,000万戸超へと倍増」(2015)
https://www.nri.com/jp/news/2015/150622_1.aspx
※3 国土交通省「国土交通省における循環型社会形成の取組」(2009)
http://www.env.go.jp/council/former2013/04recycle/y040-kondan08/mat06.pdf
※4 NPO法人 空家・空地管理センター「放置空き家がもたらす被害」
https://www.akiya-akichi.or.jp/what/damage/environment/
※5 白川. 2015. データで見る地方の現状:地図を通して見る市町村の現況, 土地総合研究, 2015年夏号.
http://www.lij.jp/html/jli/jli_2015/2015summer_p194.pdf
※6 suumo「二拠点生活は基本「無理ゲー」だが、チャンスと娯楽は二倍になる (寄稿:徳谷柿次郎)」(2017)
http://suumo.jp/town/entry/nagano2-kakijiro/
※7 福原. 2014. 空き家・空き店舗を利用したコミュニティカフェ事業-その意義と成功要件, 資料および事例集.
http://www.waseda.jp/sem-muranolt01/SR/S2014/S2014-fukuhara-2.pdf
※8 例えば、「コミュニティを問いなおす - つながり・都市・日本社会の未来」(広井, 2009, ちくま新書)/「建築雑誌, 特集:住むことから考える」(日本建築学会, 2014)
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