こんにちは。まだまだ寒い日が続いています。
そして、冬の季節、寒くなればなるほど美味しくなるのが「鍋」です。水炊き、すき焼き、おでん、豆乳鍋、チゲ鍋、土手鍋、、、などなど、多種多様な「鍋」があります。そ して、この「鍋」を頂くにあたり具材や調理法と並んで重要なのは、「みんなで囲んで」 という、そのシチュエーションです。
自分が思うところ、理由は2つあります。ひとつは「安さ」、そしてもうひとつは「楽しさ」です。昨今、「ひとり鍋」なる概念と商品が登場し、私も一度コンビニで購入したことがあるのですが、やっぱり「これじゃない感」が拭えませんでした。これじゃあ一人でうどん食べてるのと変わらないじゃないか、今食べているものが鍋である必然性がないじゃないか、と。 ちなみに聞くところによると、「鍋」の語源“なへ”には、「ひとつの世帯」という意味があり、ということは、そもそもその言葉の内に「ひとつの料理を囲んでみんなでワイワ イやる」というニュアンスが含まれているそうです。
さて今回のテーマは、前回の「一人あたりの資源が増える」に引き続き「増えた資源
をどう使うか?」です。
そしてここでも、それがどんな資源や手段であれ、「みんなで一緒に」というのがやはり、ひとつ大きなポイントとなってくると思います。その理由は「鍋」と同じく、その方が「安く」て「楽しい」からではないでしょうか。
今回もいくつかのデータを見ながら、そんな話をしていきたいと思います。
おじさん、おばさんも「一人暮らし」する時代
「"みんなで一緒に”がポイントだ」、というポジティブな出だしの流れをいきなり止めることになるのですが、実際のところ現代はむしろ、そうした形でみんなで一緒になっ て、何か資源を共有・消費・活用していくということが難しくなりつつあります。その背景にあるのは「一人暮らし世帯」の増加です。 「みんなで一緒に」的な話しの前に、前提条件となるこの社会動向を先に押さえておきたいと思います。
【年代別一人暮らしの世帯数(2010年/2035年比較)】(※1)
一例として、「年齢別一人暮らし世帯数」(上図)を、2010年と2035年とで比較したデータを持ってきました(※1)。 ここからは2つのことが読み取れます。ひとつは単純に、「一人暮らし世帯」が今後増えていく、ということです。総数で言うと、2010年の一人暮らし世帯は1,679万世帯だったのが、2035年では 1,846万世帯となる推算です(同期間に総人口は10%以上減との予測(※2))。 そしてもうひとつは、「一人暮らし」は全世代的なものになっていく、ということです。 わかりやすいように一番目と二番目に多い世代をそれぞれ、赤色と黄色で示したのですが、2010年には 20代前半/後半だったのが、どちらも大きく右側にシフトしていることがわかります。つまり、これからは、おじさんおばさんになっても、じいちゃんばあちゃんになっても、生涯一人で暮らしいるのも普通、という社会になるということを意味しています。 今はまだ、「一人暮らし」と聞くと自分は、“バリバリに勉学・仕事・恋愛に励む未婚 の 20 代の若者”というステレオタイプな人物像を無意識に描いてしまいますが、どうやらこれは近いうちにアナクロなイメージとなるようです。
そして、このデータが重要なのは、それがモノ・空間・時間・体験、何であれ、あらゆる資源の消費活動が、「独立した一人単位」で行われるケースが増えていく、という、 社会の資源消費構造の未来も暗示している点です。 その潮流を象徴するワードに「おひとりさま」(※3)があります。例えば最近、「ひとりカラオケ」「ひとり焼肉」「ぼっち席」「ソロウエディング(!)」といった一人単位でパッケージ化された商品・サービスが増えています(※4、5)。 消費社会研究家の三浦展氏はこうした現代の様相を、「超おひとりさま社会」(※6) と表現していますが、実際、全世代(特に中高年向け)おひとさまマーケティング・ビ ジネス市場の規模は年々伸びていっているそうです。これは、上に見た「一人暮らし世帯の増加」と強い繋がりがあります。
さて、今回のテーマ「増えた資源をどう使うか?」という視点から見て、この「一人単位での独立した資源消費の増加」という傾向は、どう捉えられるでしょうか?
もちろん、結婚するしないも含め、生活スタイルの選択は個人の自由ですが、「社会全体で資源を有効に使っていこう!」という視点に立った場合、これは歓迎できない傾向 です。
なぜなら単純な話し、一人単位独立の資源消費は非効率だからです。 つまり、「たくさんまとめて作ったり使ったりしたほうが何だか安くなる(効率的だ)」 ということは、「規模の経済」といった専門ワードを持ち出すまでもなく、世の中の大原則のひとつとして、誰もが経験的に知るところです。しかしこれを裏返してみると、 最も無駄(資源のロス)が多くなるのは、一人一人が独立して消費したときだ、ということでもあります。
今回のテーマは「増えた資源をどう使うか?」ですが、忘れてはいけないのは、増えているのは社会全体の資源の“総量”ではなく、あくまで(人口減少に伴う)“一人あたり の”資源の量です。 つまり、前回の「空き家」(空間資源)の話で、これから人口が減るに伴って、数字上は確かに一人あたりの資源量が増えていく(資源量 ÷ 人口)、ということを確認しました。しかし、一人一人が独立に(すなわち非効率に)資源を消費する傾向が今後より強まるのであれば、そのせっかくの増加分は相殺されてしまう、ということになります (資源量 ÷ 人口 × 効率(0.0~1.0))。
これは個人的感想ですが、なぜ昔は1人が一家の大黒柱としてフルタイムで働けば、持ち家で家族二世帯6人、7人を充分に養えたのに(サザエさんの磯野家みたいに)、今は2人フルタイムで共働きしてようやく社宅で子どもが1人養えるかどうか、という社会になったのか、常々不思議に思っているのですが、実はこの、社会全体で進む「独立した一人単位の消費の増加」による「資源消費の非効率化」が、裏の裏の裏の、黒幕だったりするのかな、と書いていて思ったりもしました。
「おひとりさま文化」興隆のカウンターパンチとしての「シェア文化」の台頭
一方で、もうひとつ注目したいのが、近年、どの方面を向いても目に入る「シェア = 共有」という考え方です。冒頭で、今回の「増えた資源をどう使うか?」というテーマ(問い)に対し、「みんなで一緒に」がポイントとなる、と述べましたが、まさに「シェア」の視点はドンピシャでそこに応えるものと言えます。「シェア = 共有」という発想は一見、先に見た「一人暮らし世帯」の増加&「おひとりさま」文化の興隆とは対極的な印象を受けます。しかしその実、その前段2つの社会動向こそが、現代の「シェア文化」の社会的広がりの遠因となっています。 つまりは、従来の「世帯」という枠組みでは経済的効率性(安さ)と他人との交流機会 (楽しさ)を担保できなくなりその結果として、すなわち「一人暮らし世帯」増加・「お ひとりさま文化」興隆のカウンターパンチとして、新たに「みんなで一緒に」資源を共有する場を(つまり安さと楽しさを)求める人が増えた、ということが、この現代の「シェア文化」繁栄の実の裏舞台ではないかと思われます。
例えば、この「シェア」という発想が具体的な形となっているものとして、「シェアリングエコノミー(共有型経済)」があります。
【シェアリングエコノミーの領域】(※7)
シェアリングエコノミー(共有型経済)とは一般に、「場所・乗り物・モノ・人・お金 などの遊休資産をインターネット上のプラットフォームを介して個人間で貸借や売買、 交換することでシェアしていく新しい経済の動き 」(※7)と定義されます。 ザックリ言うと、「使ってない資源(遊休資産)とそれらを使いたい人のマッチング率を高め、もっともっと効率的に資源を活用していこうよ」ということです。 例えば、電車通勤の人が車を購入したとすると、実際に乗るのは週にたったの一回程度で残りの6日は眠っている状態(遊休資産)、となってしまいます。しかし、ここに同じような人が 10 人集まって1台の車を共有する仕組み(=カーシェアリング)を導入すれば、一人一人がそれぞれ一台づつ車を購入する必要がなくなり、個々人の金銭的負担(車購入代、駐車場代、車検代など)を減らし、かつ車という資源の稼働率をあげ、 さらに、(車の製造に必要な)資源の消費量をグッと押さえ、さらにさらに、街中の駐車スペース、すなわち空間資源も節約できてしまいます。一石三鳥、四鳥、五鳥、といったところでしょうか。
実際、今後 5 年間でシェアリングエコノミーの市場規模は2倍以上になると予測されています(※8)。
【シェアリング・エコノミーの国内市場規模推移と予測】(※8)
「おひとりさまビジネス(個人)」/「シェアリングエコノミー(集団)」、対極的な マインドを狙う2つの市場が同時に発展していっている。一応、私は商業学界隈の端くれに身を置いているので、この動向は面白いです。あるいは、「“1人”にはなりたいけ ど、“独り”にはなりたくない」という、現代人らしさが現れている、とも解釈できそうです。
そしてここで興味深いのは、不思議なことによく見ると、シェアリングエコノミーサービス(商品)の中には、一人単独の場合と比べて全然安くなっていないものも多数あることです。 例えばその代表に「シェアハウス」があります。実は私自身も前に部屋を探した時に、「金もないし最近流行りのシェアハウスにするか。」と、半分は安さ目当てでシェアハウス物件をいくつか見たのですが、全然安くない。むしろ高い。試しにネットで「シェアハウス/高い」で検索すると、同様の声が数多く聞かれます。 「シェアハウス」というのは居住空間という「空間資源」を共有する仕組みです。近世以前、庶民の一般的な居住スタイルだった「長屋」も(壁・屋根などの家屋の構造物や井戸などの生活機能を共有している)ある種のシェアハウスですが、みんなで共有する以上、自分が自由に使える空間は小さくなり、プライベートも割かれ、またお風呂・ト イレ・キッチンなどの居住機能の順番待ちも発生します。つまり本来、その資源共有に伴うそれらのマイナスと交換に庶民は「安さ」というプラスを得ていたわけですが、現代は必ずしもそうはなっていない、ということになります。
この例に見るように、必ずしも「安さ」すなわち経済的効率性という「実利」を理由に 資源をシェアするのではない、というところは非常に今日的であり、他の時代にはなか った特異な点であって、最近のシェアの潮流を考える上でやっぱり外せないなと思いま す。 どういうことかと言うと、他者との「資源の共有」のための仕組みづくりの歴史を遡る と、「コモンズ」(commons)などが昔からある思想・制度としてわかりやすく思い出されますが、もっと言えばそもそも、資源を「シェア = 共有」するという発想自体は、 「人間」が誕生したと同時に存在していたような極めて始原的な構造であり、何も今日になって唐突に生まれた考え方ではないはずです。(さらにもっと言えば、地球に共生 している以上、人間に限らず生物はみな何かしらの資源を共有しています。) つまり、「資源を使う」上で「みんなで一緒に」が重要、そしてそこには「安さ」と「楽しさ」の2つの理由がある、というところから今回のコラムはスタートしましたが、こうして見ると、現代はその理由の中で「安さ」の比重が下がり、そして「楽しさ」の比重がより増しているように見受けられます。あるいは、昔は経済的効率性がまず資源共有の理由としてあって、その副次的な結果として地域コミュニティのコミュニケーション機会ともなっていたのが、現代はまず先にコミュニケーション機会の創出が第一の目的にあり、経済的効率性はその後、と、その目的と結果の順番がかつてと逆になっているところが特殊な点だということです。 「常時接続社会」(※9)と言われるように、SNS 等の発達によって、以前よりも遥かに簡単に他人と繋がれる時代において、なぜ、他人とのコミュニケーションによって発生する「楽しさ」がここまで貴重な価値となっているのか、ちょっと不思議な気もします。やはり「世帯」という従来の枠組みが果たしていた役割は、近年の目覚ましい情報伝達サービスの発達でさえ補えないほどに大きかった、ということでしょうか。
また、この「シェア」を基軸にした新たな人の繋がり(コミュニティ)の形成、というのは日本人の気質と特に相性が良い気がします。 なぜかというと、日本人は「パブリック=公共」という意識を背景にして他者と繋がるのは苦手だからです。このあたりについては広井良典氏が農村型コミュニティ(日本) /都市型コミュニティ(欧米)の相違、という視点で解説していますが(※10)、自分なりに要すると、日本人は他者と繋がるためにはまず、「建前」を必要とする国民性だ、ということだと思います。 このあたり、ちょっと詳しく書くと長いのですが、例えば日本の市民参加型のまちづくりにはその謳い文句として「シビックプライド=市民としての誇り」という文言が良く登場します(自分も何度かプラン作成時にキーワードとして用いたことがあります)。
これは「I LOVE NY」「I LOVE BOSTON」など、海外の都市づくり事例を参考に取り入れられた概念ですが、自分が知る限り、日本ではどうもイマイチ浸透しません。その理由は、同じ「市民」であるというだけで出自等に関係なく無条件に仲間意識を持って仲良しよう、というマインドにはなりにくい、という日本型コミュニティの性質によるものではないか、と個人的には考えています。
そして、なぜ「シェア = 共有」という発想がそうした日本人のコミュニティと相性が良いかというと、「パブリック = 公共」の持つその(日本人にとっては直視すると少し気恥ずかしさを感じないでもない)混じり気のない人々の繋がりに対する信頼とは異なり、「シェア = 共有」は「安さ(経済的効率性)」をその目的の片割れとして内包しており、その極めて俗っぽい理由が他人と繋がる「建前」(言い訳)として上手く機能してくれる気がするからです。つまり、「いやいや、俺は/私はただ安く済むからこのコミュニ ティにいるだけだよ」、と。
ということは、現代の「資源の共有」においてその「経済的効率性」の理由は後退しているらしいと先に書きましたが、それは単なる見せかけなのかもしれません。
今回のテーマを思い返すと「増えた資源をどう活かすか?」でしたが、「どう活かすか?」 というその先の話しではなく、「鍋」を例えに「みんなで囲んで」というそのシチュエーションにこだわって、人々がそもそも資源を共有する現代的な理由を掘り下げました。 しかし一方で、みんなで一緒に資源を活かした成果物としてどんな価値が生まれるのか、ということも、また別の問いとしてあると思います。そのあたりはいつか、別の機会に譲りたいと思います。
※1 三浦展『日本人はこれから何を買うのか?「- 超おひとしさま社会」の消費と行動-』 (2013, 光文社新書), p.4-p.5「図2:年齢別一人暮らし世帯数」を元に筆者作成 ※2 内閣府『高齢化の推移と将来推計』(平成25年度版高齢社会白書(全体版), 将来推計人口でみる50年後の日本, 図1-1-4) http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2013/zenbun/s1_1_1_02.html
※3 岩下久美子『おひとりさま』(2001, 中央公論新社)
※4 マイナビニュース『「ひとりキャンプ」って出来る?「おひとりさま」の限界を聞いた』(2018/02/04) https://news.mynavi.jp/article/20180204-577536/?utm_content=buffer61fc4& utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer
※5 栗木彩乃『単身世帯が増えている今、無視できない「おひとり様向け」ビジネスの事例3選』(2017/05/16, ferret)
※6 三浦展『論点多彩:超おひとりさま社会の消費動向』(2013, 日本政策金融公庫 調査月報, No.062) https://www.jfc.go.jp/n/findings/pdf/tyousa_gttupou_1311.pdf
※7 経済産業省『資料4:シェアリングエコノミービジネスについて』
http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shojo/johokeizai/bunsan_senryak u_wg/pdf/004_04_00.pdf
※8 総務省『第1部_特集_データ主導経済と社会改革』(平成29年度情報通信白書) http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h29/html/nc112220.html
※9 キリン食生活文化研究所『おひとりさま空間の変遷から社会の変化を読み解く~個人と個人が時空を超えてつながる時代』(連載コラム, 飲みものからくらしを考え る,vol.15)
※10 広井良典『コミュニティを問いなおす-つながり・都市・日本社会の未来』(2009 年, ちくま新書)
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